桜並木も好きだけれど、その足元を繋ぐように紫陽花がふくふくと育ってくるのも心がおどる。桜の蕾がほころぶのも、紫陽花の葉の最初の緑が顔をのぞかせるのも、同じくらいわくわくする。
雨上がりの日、若々しくひろがった紫陽花の葉の上に、桃色の桜の花びらが散りばめられているさまなど、なんという彩りの妙。そんな桜との入れ替わりの時期は過ぎて、紫陽花は満開になっている。
美人さんショットを撮ろう、と声をかければ振り向いてくれるのは、黒いお犬。
気が向いたらね、というのは白いお犬。何かが気になるらしくて、尻尾が下がっている。


今年のnote創作大賞、二作応募しようと目論んでいる。
一作は過去作の改稿。直してみたら10万字になった。10万字、って自分にとっては一つの壁だったので、感覚が掴めてほっとする。視点人物を絞って、ほぼ二人だけから語らせるようにしてみた。そうしたらぐっと良くなった。
どうも俯瞰する傾向が強くて、神視点を正すのに難儀する。視点人物のごく近くまでカメラを寄せることが下手なようだ。
そもそも、小説を書き始めて最初の頃は、神視点の何がいけないのかちっともわからなかったのだ。
自分で「あっ、そうか」と思った瞬間、なかなか爽快だった。相当、うまい書き手がやらない限り、神視点は作者のただの独りよがり、になる。
付随して発見したのは、視点人物にカメラを寄せていくと描写がやりやすくなる、ということ。描写とは、今理解しているところでは、視点人物の行動だったり心理だったりが投影されているもの。ずっと描写ってなんのためにするのだ、とこれもわかっていなかった。ここいらでちょっと風景のことなど書いておこうかな、などど、まあNGの連発である。
なかなか一足とびに上手くなることはできない、と思う。じわじわとスキルアップする時間と、いつまでも平原をずっと歩いて歩いているように感じる時間。ある日、ここに次の階段があるとわかって、よいしょと登れたりなどするし、突然風景が変わったということは段一つ上に行ったなあとわかったり。一段を数ヶ月で行くこともあれば、数年かかることもある。
ということを教えてくれたのがピアノであり、弓道であり、仕事。
五里霧中で歩き続けることを、時に、努力という言葉で表すことがある。父は良く「努力、努力という奴は嫌いだ」と言って、母と言い争っていたものだ。
私は、父の遺伝子を強く受け継いでいる。
その一作目はTALESにて公開中。お読みいただけてとても感激しています。
ミズ・ミステリオーザの事件簿 ー ふくらはぎの刻印
もう一作は、視点人物一人。最初、男性と女性とを交互に書こうとしたらまるで進まなかった。思い切って女性一人にしたら、動き出した。けれども、また「こぢんまりと無難にまとめてみました」というのが発動されているようで、気になる。初稿ができたら、小さな座布団のあちこちに穴を穿って、中の綿を一面にぶちまける、ようなことをしてみないとなあとぼんやり考える。
うちのお犬さまがたがもう10年ばかり若かった頃。明け方にやけに盛り上がっているなあ、と思いながらうつらうつらとしていたのだけれど、目が覚めてみたら一面の雪。
へ?
全部、布団の綿であった。
白いお犬が隅っこを食いちぎり、中身を咥えて黒いお犬に見せびらかす。
おほほほ、とれるもんならとってごらんなさい!
綿を奪い合うお犬たち。
綿が小さくなると、また次の塊を咥え出して、
おほほほ!
ちょうだい!
その繰り返し。
と、いうことではなかったかと想像する。実際に目にしたのは部屋中に散らばった小さな綿で、その中でご機嫌なお二人と一緒に私はけらけらと笑い転げるばかりだったので。
綿は回収して詰め直し、隅っこを簡単にかがってそのシーズンが終わったところで買い換えました、とさ。
そのぐらいの勢いが必要だなあと、思ったりする。
何事も、お犬さまから教わることというのは、貴重なのである。


コメント
先日、こちらに伺った時はアジサイの部分だけで下は全て真っ白で💦てっきりコメントを書けない仕様になったのかと勘違いしてnoteにアジサイだけの話を書いてしまいました……
自作、楽しみにしています。視点の問題、難しいですよね。私はそこまで行き着いていない気がします。今はなぜか書きたくて仕方ありません。書いていていいのか?他にやることあるだろ、と思うのですがなぜかアイデアがムクムクと。そういう時期なのだと諦めて楽しく書いています。ハッと冷静になった時に、また我が文章の稚拙さに頭を抱えるのだろうなぁ💦
はそやmさん
昨日、途中までしか読めない、とおっしゃった方が他にも居られて、何か具合の悪い時間帯があったようです。ご心配をおかけしました。
視点は、一つ理解できたと思うと、また次の疑問が現れて、私にとっては一筋縄ではいかない関門です。でも、何はともあれ、私も書くことがとても楽しいし、書かないことには何も始まらないと思って続けています。
昔の自分が書いたものには、私も頭を抱えてしまいますが、でもそれがわかるようになって良かったかな、って思ったり、ね。