One hour trip

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 一冊読み終えて放心状態から戻るのに、少々時間が必要だった。

本当に永らく自分を救い続けるのは、このような、迂闊な感動を内から律するような忍耐だと私は知りつつある。この忍耐は何だろう。その不思議を私はもっと思い知りたいし、その果てに心の震えない人間が待望されているとしても、そうなることを今は望む。この旅の記憶に浮ついて手を止めようとする心の震えを鎮め、忍耐し、書かなければならない。後には文字が成果でなく、灰のように残るだろう。 
 ー 旅する練習 (講談社文庫)乗代雄介著 

 物語の中盤に柳田國男や小島信夫が引用されて、その後に続くこのくだりに妙に引っかかったのである。惹きつけられた、のとは違う、磁力に引かれたような感じ。

 終盤十ページに漂い始めるそこはかとない不穏。ずっと、リアルタイムの旅日記に触れていたつもりが、違う、これは巧みに回想が混じっている、私はまんまと著者の思惑に乗せられている。

 最後の見開き二ページで、言葉を失う。

 ミステリーではない。叔父と姪が二人で約一週間、ただ旅をする話である。


 

 岡山ZINEスタジアム、に参加したことではじめて乗代雄介という作家を知った。坪田譲治文学賞の受賞者であり、その縁で登壇してトークショーをなさっていた。こちらは店番に気を取られているし、小学校の体育館では音響も決してよろしくない。結局、何の話をされたのか分からずじまいで、でも気にかかっていて、乗代氏のワークショップ作品集を求めて帰った。

 

 これは大層私に欠けているものなのであって、非常にありがたかった。そして数日後、本屋で期せずして「旅する練習」を見つけるのである。


 

 これまた岡山のご縁で、髙橋マサエさんというイラストレーターさんを知る。神戸の喫茶店でイラスト展をされている、ということで昨日はそちらへ。行ったことのない方角である。地下鉄を降りて少々歩く。Googleマップ片手に、大通りでなく川沿いにしようと選んだ道。自宅からほんの一時間ほどの、これは紛れもなく小旅行。

 よし、やってみませう。

 右手の白壁は神社の裏手で、ひょいと切り株が顔を出す。左手の川は護岸され何の変哲もない、と言おうとしてコンクリートの上に積まれた石の間からピンク色のまんまるな花が無数に顔を出しているのと目が合う。ヒメツルソバ(ポリゴナム)だ、自宅周辺ではまだ咲いていない。満開じゃないか、と思わず頬が緩む。そしてこの風景を心に刻みたくなる理由は、といえば石畳に尽きる。きちんと足を上げて歩かなくてはつまづいてしまう。緑の葉が畳の目を埋めて、曇り空なのに浮き立つような春の心地である。野草に名前をつけだすと前へ進めなくなるから、脇に咲いているタンポポやナズナに軽く目をやるに留める。

 風景を綴ろうとして、全くもってまだまだである。

 急に結構な傾斜の坂道が、結構な長さであらわれてたじろぐ。老婦人が、歩道沿いの塀に片手をつきつつ、登っていく。

 その坂の果てに目的地らしき洋館を見つけた。向こうへ回り込むためには短いけれどトドメのように階段。

 

 ひと仕事成し遂げたような心持ちで、もりもりとナポリタンを食べ、コーヒーを楽しみ、持参した日記を広げる。

 センターの大きなテーブル、一番気に入った絵の前に座っていたところ、一人の若い男性が遠慮がちに斜め方向から撮影しようとしているのに気づく。

 よかったら、正面からどうぞ。これ、実はお友達が描いたものなんです。関心を持っていただいてるのが嬉しくて。

 男性はえっ、という顔で持っていた本を見せてくれる。

 僕、この方に表紙を描いてもらったんです。 

 あれ、見たことあるような気がする。もしかして、岡山に出店されてましたか?

 それは私の勘違いだったのだけれど。ひとしきり会話を交わし、私は図々しくも名刺を取り出して渡したのである。男性は、名刺がわりにこの本を差し上げます、といふ。

 そんな! 買わせてもらいますよ!

 いやいやそんなことは!

 だめよ作品なんだから、ちゃんと払わせてください。

 そしてこれが、風景を綴るエッセンスを含む良著であることに、感嘆の思いを隠せない。歩き方、と軽く誘ってくるが、鮮やかな映像の浮かんでくるエッセイ本である。うどん県への愛、何気ない周りのものを見つめる確かな目。この方、ただならぬ書き手とお見受けしました。


 

 もし、岡山へ行っていなかったら。

 もし、ウミネコとご縁が繋がっていなかったら。

 もし、あのひとやこのひとと知り合っていなかったら。

 もし、noteを始めていなかったら。

 私は今日のこの素敵な小旅行の代わりに、何をしていたんでしょうね。

コメント

  1. ぎくかわさん より:

    乗代さんのあの文章は、ある種サイエンスのようなものだと思いました。
    心の感動のままに進むのではなく、その心の動きを認知し、制御して向き合い続ける。それは自分の感覚の外側へ意識を向けて、外の世界をそのまま受け取る姿勢に思えるのです。
    彼にとって書くとはそういうことではないのかな、と思いました。

    • Honon Izumi Honon Izumi より:

      ぎくさま
      そうですね、感じた心の動きを綴るのではなく、それを引き起こした外界を描く。優れた物語には、多かれ少なかれそういうところがあるような気がします。

      そしてですね、この「旅する練習」においてはこのくだりが二重の意味を持ってくるのです! 機会がありましたらぜひ、お手に取ってみていただきたいと思うのであります。

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